はてなブログの中にいつの間にか「お題スロット」というものができていた。記事になりそうなお題がシャッフルで表示される機能で、話題性に乏しい生活を送っている僕にとってはなんて大助かりなサービスなんだろうと思った。今度からネタが浮かばなかったときはこの「お題スロット」を頼らせていただこうと思う。
というわけで早速活用するのだけれども、お題をシャッフルする中で「思い出のWebサービス」というものが出てきた。「思い出」という言葉が出てくるくらい昔のWebサービスで記憶がよみがえるのは、やはり「mixi」だ。
当時mixiは完全招待制で、mixiユーザーである友人から招待された人でなければ登録することはできなかった。僕は運よくつながりができたのでmixiをはじめた。mixi日記を書いたり、コミュニティに入って共通の話題で盛り上がったりして、mixi内でどんどんつながりを増やしていった。地元の女の子と知り合いになり、その子とは一緒にモバゲーをはじめて、そのあと実際に会って遊んだりもした。振り返ってみれば、「ネットでのつながり」を意識しはじめたのがこのmixiだったように思う。ちなみに、僕はこの当時からはてなダイアリーをはじめていた。mixiで知り合った方からコメントをいただく機会もあった。それは今も残っている。今はどうされているだろうか。
mixiをやらなくなったのはいつの頃からだろう。Facebookが台頭してきてからかな。これは恐らく他の人たちも同じだと思うけど、Facebookが台頭してきたあとに「mixi→Facebook」というユーザーの大移動があった。僕もmixiでのつながりを維持したままFacebookへと移行したけれども、実はこれがいけなかったと反省している。Facebookはご存じのとおり実名制で、プロフィールも必然的にリアルの職業等と直結することになる。mixiはハンドルネームだけで活動できるので、その裏側にある「中の人」の職業や社会的な立場、地位といったものは一切度外視できたけれども、Facebookはそうはいかない。「え、あの人はあの企業に勤めてあんな立場だったのか」と驚くこともあれば、住所と本名を知れて(知られて)しまい、実際に会ったときに不思議と気まずくなることもあった。やはり人間、リアルの立場が絡んでくると自然とフィルタリングが働いてしまう。僕なんていい歳してフリーターだったし、そのおかげで収入が低いこともバレてしまったので、mixiでもFacebookでもなんとなく相手から「壁」がつくられてしまっているような気がしてならなかった。いや、もしかしたら自分が「壁」をつくってしまっていたのかもしれない。それまでなかった、ネット上での人間関係がナーバスになった瞬間だった。
Facebookでは職場の人間を「友だち」に加えてしまったのもまずかった。あれは一番やっちゃダメだ。どこかで何かを食べたとき、そのとき撮った写真をFacebookにアップする。そうした私生活が、まさか監視対象になるとは思わなかった。他にも例えばFacebookで何気なく吐いた弱音を次の日に上司から咎められたことがあった。「あんなことをFacebookに書くな!あんな書き込み、見たくないんだよ」だったら友だちから外せば良いじゃないか。これで、ネット上で感情を曝け出す場所がなくなってしまった。こうしたトラブルを抱えた人は僕以外にも大勢いたみたいで、結果的にmixiもFacebookも衰退してしまい、140文字の気軽なつぶやきができるTwitterへとユーザーが移っていったように思う。
思えばmixiこそが日本におけるSNSの源流だと思うのだけど、今やギスギスドロドロとしたたくさんの情報が一瞬にして流れていくTwitterのようなものではなく、mixiはゆったりとした時間の流れの中で、みんながマイペースに楽しめていたSNSだったと思う。もちろんトラブルはあったけれども、それでも今よりはネットでの人のつながりを実感できたし、毎日ログインするのが楽しみだった。
Instagram等の今提供されている主流のサービスも、やがては新しいサービスに取って代わられると思うけど、10年後くらいに「思い出のWebサービス」として思い起こされるときが来るかもしれない。そのときまでに僕が生きていればの話だけれども。
- 作者:木村弘毅
- 発売日: 2018/12/06
- メディア: 単行本